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特別座談会「謙慎書道会70回記念展に寄せて」

謙慎書道会の「姿勢と理念」
西川イズムと青山イズム
西川寧、小林斗アン両師の実証主義
謙慎書道会の今後と展望



<出席者氏名> 梅原清山、稲垣菘圃、岩井韻亭、新井光風、鈴木春朝、田中節山、樽本樹邨、
            燒リ聖雨、内藤富卿、和中簡堂 (順不同)

謙慎書道会の「姿勢と理念」

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-- 本日は謙慎展の最終審査を終えられ、お疲れのところをお集りいただき誠にありがとうございます。本誌ではこのたびの謙慎展70回展によせて、漢字・篆刻部門の諸先生にお集りいただき、謙慎書道会のこれまでの歩みと今後の展望について語っていただきたいと思います。まずは本年で70回展を迎えた謙慎書道会の長い伝統と歴史、またその姿勢と理念といったテーマでそれぞれのお考えをお聞かせいただければと思います。

新井 光風
新井 光風
新井 このたびは書を愛する多くの皆様のお蔭をもちまして謙慎書道会70回展を迎えることができました。当会は前身である春興会の後を受け昭和8年5月、西川寧先生を中心として林祖洞、鳥海鵠洞、江川碧潭、金子慶雲の五氏によって創立されました。こうした長い伝統と歴史の上に立って今日の謙慎書道会は着実な歩みを続けているわけですが、その姿勢と理念については西川先生、青山杉雨先生、殿村藍田先生、上條信山先生、浅見筧洞先生、そして70回展を目前にして他界されました小林斗アン先生、成瀬映山先生、それぞれの先生方の業績が明確に示しているように思います。それは各先生方の築かれた書業の一つ一つが昭和の戦前・戦後から平成時代を通じて書道界の目標ともいうべき大きな功績を残しておられるからです。こうした伝統の重みは他に類例がないように思われ、当会はある意味では非常に特異な存在であるといえるかもしれません。私たちは70回展という大きな節目を迎え幾多の諸先達に対する感謝の気持ちとともに、そうした伝統と歴史に甘えることなく着実に一歩一歩前進していかなくてはならないと思います。

 一言でいえば当会の基本理念は、古典を尊重し、古典に学び、古典に立脚した学書の姿勢であり、それが謙慎のバックボーンの一つを形づくっていると思います。当然ながら出品されている人達もそうした謙慎の姿勢や理念のもとに活動を続けていると思いますし、またそうあるべく努力を重ねているように思います。そういう意味で私たち一人ひとりが謙慎書道会によって育まれ、今日の自分があるように思っています。

梅原 清山
梅原 清山
梅原 書の伝統と歴史を評して「本格の輝き」といいますけれども、古典の伝統に立脚することが書の本来の姿であり、それを厳格に守り続けてきたこと、ゆるんだ妥協がないということ、そうしたことが謙慎の姿勢なり理念を形づくってきたのだと思います。そのような書に対する凛とした姿勢、生半可な妥協を許さないという、その姿勢に諸先輩や多くの人々が魅力を感じてやって来たのだと思います。 稲垣 いまお話しにあったとおり「本格の輝き」とは、あくまで古典を原点として日々切磋琢磨したことだと私も思います。昨今の書道界には古典の臨書を軽視したり、さらには古典を無視するような流れがあるようですけれど、それらはまったく論外であって、我々はしっかりとした学書の基盤に立脚した書を創造していかなくてはなりません。古典の徹底的な学習によってこそ本格の輝きが生まれてくるのだと思います。私の場合、西川先生をはじめ、無論、青山先生からも絶えず教えを受けたことが身に叩き込まれておりますので、幸いにも横道に外れることは免れましたが、謙慎に所属する者は先人たちが築き上げた姿勢と理念を今後もしっかりと受け継いでいかねばならないと思います。

岩井 韻亭
岩井 韻亭
岩井 私の場合、初めは若海方舟先生に師事しておりました。若海先生は豊道春海先生と非常に親しい間柄で、当時、私も豊道先生のお宅には週1回くらいのペースでお邪魔に上がっておりました。そんなことから私が住んでいた立川方面にもお越しいただき、そこでいろいろなお話を伺うことができました。昭和20年代後半頃のことです。その後、若海先生が亡くなられ昭和35年に青山先生に師事したわけです。先ほどからのお話の謙慎の理念と姿勢に即して言えば、とりわけ青山先生の「姿じゃないんだぞ、線の中に心を入れる勉強なんだぞ」という、あの燃えるような強い信念に凝縮されているように思います。そうした中で私は教えを受けてきたわけですが、青山先生の一貫した強い信念と熱意があったればこそ、後年の読売書法展が生まれた背景と理由も理解できるのではないかと思います。

-- ただいま西川、青山両先生の古典重視の姿勢、また学書の厳しさについてお話をうかがいましたが、両先生と並んで謙慎書道会を領導してこられた殿村藍田先生、上條信山先生について、まず鈴木先生からお願い致します。

鈴木 春朝
鈴木 春朝
鈴木 殿村先生は西川、青山両先生に比べますと、どちらかといえば感覚的な捉え方であったように思われますが、古典の臨書は人一倍努力されたようです。懐素の自叙帖を臨書されていた時、「春朝、これは難しいなー」と話されたことがありました。先生の思い出といえば、多くの門弟の中で怒られることが一番多かったのは私だったことです。バケツを持って立たされたり、厳しさのあまり退会したお弟子もありましたが、その激しさはただ単に怒るということではなく、書に関していかに厳格であったかということです。今となってみれば皆感謝の念でいっぱいではないかと思います。本当に書を愛し、書を学ぶことの厳しさ、また楽しさを教えて下さったのは殿村先生であったと思っております。



田中 節山
田中 節山
田中 私どもの書象会は、上條先生が昭和28年に豊道先生とのご縁で謙慎書道会に参加いたしました。私が上條先生に入門したのは昭和33年ですが、その頃の謙慎展への出品は15名前後くらいでした。それが先生の厳しくかつ温いご指導によって現在では六百名にのぼる出品者を抱えるまでに大きく成長しました。上條先生の教えは当初から「書は師風に徹しなきゃだめだ。俺は北魏の張猛龍碑や唐の九成宮を柱にしてやってきている。だから君たちにもそれを徹底的に教える」という厳しいお考えで門下の指導に当たられました。それは土曜日に集まるご婦人方に対しても、専門的に指導されたことにも表れています。先生は門下全員を専門家に仕上げるんだという烈々たる気概を持っておられました。そういう中で厳格な臨書の方法論や古典への取り組み方を教えていただきました。ですから「師風に徹しない者は去れ」といった厳しいお言葉や「上手な字が書けない者は展覧会に創作を出すより古典の臨書に励め」といった指導法は今も書象会の伝統となっています。書における厳しさと同時に一面、非常に温かみのある先生でしたから、我々がちょっと悄気ていると温かい激励の言葉をかけて下さり、逆に少しでも怠けているようならズバッと切り込まれる厳格なところがありました。お蔭をもちまして、私ども書象会は謙慎の中にあって更に更に努力することができると考えます。それが謙慎書道会の団結と発展に寄与することであり、上條先生のご遺志にかなうものであると考えております。
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