HOME > 謙慎書道会とは

謙慎書道会とは

謙慎書道会は、明治・大正屈指の大家、西川春洞の系統を中心とする団体です。

『謙慎』とは、西川春洞の堂号に由来するもの。



謙慎創立以前
明治37年 西川春洞門の高弟達による謙慎同窓会創立
首唱 諸井春畦、豊道春海、武田霞洞等12名。
昭和5年 謙慎書道会の前身、春興書道会創立
   
謙慎書道会創立
昭和8年5月 西川寧・林祖洞・江川碧潭・鳥海鵠洞・金子慶雲により謙慎書道会創立。
     7月 第1回展開催(東京府美術館)

その後戦前の空白を経て、春洞の息 西川寧の書と深い学殖を背景に、卓越した理念のもと謙慎の指標となり、所謂−西川イズム−が生れました。
また後継者青山杉雨の登場により大所高所に立っての見地から、作品追求と政治的視野を広げ、かつてない黄金時代を築きました。後進の育成が功を奏し、若手の台頭には目を見はるものがありました。その情熱こそ、謙慎隆盛の母胎であり、素因といえるものでしょう。
謙慎創立より、現在に到るまでを大別すると、第一期は創立の昭和8年から、大戦終結まで。西川寧等5人の集団的指導態勢で始まり、終戦後は独り西川寧のみ世の敗戦の痛手にも関わらず、復興の意思強く、築地本願寺にて書談会を開き、書道界の木鐸として碑学的伝統を守りました。第4回展のときには、西川寧の提唱により篆刻部を設置しました。
次いで戦後から会員構成が今日のような理事制を敷く昭和36年までを第二期とし、第三期は青山杉雨が初代理事長となり、副理事長には殿村藍田、上條信山を擁し、その強力な指導体制のもと、いよいよ発展の一途を辿ることになります。昭和57年には、かな部も新設され、謙慎書道会の活動分野が漢字・かな・篆刻の三部門となりました。
第四期は、浅見筧洞が第二代理事長に就任、その後、成瀬映山が第三代理事長としてその重責を全うしました。第1回展より出品をしていた淺見筧洞は平成18年逝去、最高顧問であった成瀬映山、小林斗アンも平成19年に相次いで急逝し、偉大な指導者が旅立たれました。

平成16年より第四代理事長に就任した新井光風は、第70回展記念「日中書法の伝承」展を開催。古典の重要性を示唆し、書の本質を再認識させる機会として、後世に残る企画となりました。第五代理事長には樽本樹邨が就任。東京都美術館のリニューアルに伴い様々な催しを企画、第77回展では「文字の動物園」を開催するなど、書の普及に力を注ぎました。

現在、顧問 梅原清山、新井光風、樽本樹邨、会長 鈴木春朝、副会長 田中節山、理事長 燒リ聖雨、副理事長 市澤静山、角元正燦、事務局長 牛窪梧十という新しい陣容は、類を見ない伝統と歴史を受け継ぎ、謙慎の基本理念である古典を尊重し、古典に学び、古典に立脚した学書の姿勢で書の本質を追及し、着実に一歩一歩前進をしています。